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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)2072号 判決 1967年1月31日

原告 梅田正治郎

右訴訟代理人弁護士 輿石睦

渡辺武彦

被告 藤田マサイ

右訴訟代理人弁護士 田中正司

滝谷洸

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

1、原告

被告は原告に対し、別紙目録第二記載の建物(以下本件建物という)を収去し、同目録第一記載の土地(以下本件土地という)を明渡し、かつ昭和三九年一一月一日より右土地明渡済に至るまで一ヶ月につき三三八円の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め

2、被告

主文同旨の判決を求めた。

第二当事者の主張

1、原告(請求原因)

一、原告は、被告に対し昭和二六年一月一日本件土地を非堅固建物所有の目的で期間二〇年賃料一ヶ月三三八円被告が賃料の支払を怠ったときは原告は催告をしないで右賃貸借契約を解除できる約定で賃貸し、被告は右地上に本件建物を所有している。

二、しかるに被告は昭和三九年一一月一日より同四一年一月三一日までの賃料の支払を怠ったので原告は昭和四一年二月二五日被告に到達した書面で右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

三、よって右賃貸借契約終了にもとづく原状回復義務の履行として本件建物を収去し、本件土地の明渡しと、昭和三九年一一月一日より同四一年二月二五日まで一ヶ月三三八円の割合による賃料並びに昭和四一年二月二六日以降右土地明渡済に至るまで右賃料と同額の損害金の支払を求める。

2、被告(請求原因に対する答弁)

第一項の事実のうち、被告が本件土地を非堅固建物の所有を目的とし賃借しその地上に本件建物を所有していること、賃料が原告主張のとおりであったことは認めるが賃貸の時期、無催告解除の特約は否認する、本件土地は被告が昭和四年、当時の所有者柏木末広から非堅固建物所有の目的で賃借し、引続いて賃借していたところ原告が昭和二二年一二月頃本件土地を右訴外人より買受けて賃貸人の地位を承継したものである。

第二項の事実のうち、原告主張の解除の書面がその主張の日に被告に到達したこと、その解除の通知の日までに被告が原告主張の賃料を支払っていないことは認めるがその不払については遅滞の責はない(抗弁参照)

第三項は争う。

3、被告の抗弁

一、無催告解除の特約は民法第九三条但書に該当し無効である(仮定抗弁の一、)

請求原因第一項の答弁の項において述べたとおり原告は訴外柏木末広から本件土地を買受けて被告と右訴外人との間の賃貸借の賃貸人の地位を承継したものであるが右買受後間もなく被告に対し、本件土地のうち空地の部分の明渡を求めてやまないので被告はやむをえず原告を相手として昭和二四年三月頃品川簡易裁判所に右紛争解決のため調停申立をしたところ調停委員の説得によって原告はその主張を撤回することを約束したので被告は右調停申立を取下げたがその后昭和二五年一二月頃原告は被告に対し賃貸借契約書(甲第一号証、乙第七号証)を差出し仲直りしたのであるからこれに署名してもらいたいとの申入をし、被告が右契約書を見ると無催告解除の規定やそのほか従前の約束にはなかった被告に不利益な文言が記載されていたのでその契約書を差入れることを断ると原告は「これは刷ってあるきまり文句でこれを実行しません、字句を直すのが面倒だからこのままにしておいて下さい」と言明するので被告もこれを信じ右文言の記載のある契約書を原告に差入れたものであって被告は右のような約束をする意思がなく、かつ原告も被告の右のような真意をよく知っていたものであり心裡留保の無効の場合に該当する。

二、原告の解除の意思表示は無効である(仮定抗弁の二)

A 被告には賃料不払について遅滞の責はない。

(イ) 原告は被告に対し東京地方裁判所昭和三一年(ワ)第七二三四号宅地明渡請求事件(被告が本件土地のうち空地の部分を訴外永山広に転貸したとか又は特約に違反し近隣に迷惑をかけるような設備をしたと主張して空地の部分の賃貸借契約を解除した空地部分の明渡を求める請求)と、右事件を本案とする東京地方裁判所同年(ヨ)第三、六一二号不動産仮処分事件を提起したが右明渡の本案事件は昭和三五年八月二七日原告敗訴の判決言渡があり確定した。

(ロ) 被告は右原告よりなされた右仮処分及び右本案訴訟によって損害を受けたので原告を相手とし、東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第八〇一三号損害賠償請求事件を提起し第一審においては原告の請求の一部が認容されたが双方が控訴し東京高等裁判所昭和三八年(ネ)第一、一四〇号、同第一、一六四号事件として審理され同裁判所は昭和三九年九月一四日原審判決を変更し本件原告に金一〇〇万円の支払いを命ずる判決をしその裁判は確定した。

(ハ) 原告と被告間に右判決による確定した請求権、その他につきつぎの趣旨の和解が成立した。

原告は、被告に対し一〇〇万円を支払う。

被告は原告に対し不動産仮差押執行を取消す

昭和三九年一〇月末日までの本件土地の賃料は被告が供託しているものを原告が東京供託局から受領する。

同年一一月以降の賃料については双方代理人において協議の上適正に増額する。

原告は被告に対し建築を承認する。

(ニ) 同年一二月頃被告の代理人田中正司と原告の代理人輿石睦との間において右供託賃料の受領及び適正賃料(値上)については原告代理人において原告の意向を確めることに話合ができたのに爾来原告代理人より何等の申出がなかったので昭和四一年二月一八日頃被告の代理人田中正司は原告代理人輿石睦に対し本件土地の賃料を近隣並みにして支払いたいと申入れたところ同人は自分は前記和解終了後原告とは関係がなくなったから直接原告と協定してもらいたいと答えたので被告代理人田中は同月二三日頃原告方へその旨電話すると原告の妻が主人(原告)は土地のことは何も知らないから川崎の長男満義と話合ってもらいたいと答えたので右田中は川崎の長男満義に電話したところ不在で賃料の取決めができていなかったところその翌二四日原告から被告に賃貸借契約解除の内容証明郵便を発信し同月二五日被告に到達したものである。

(ホ) 右のとおり右和解によれば本件土地の賃料は後日双方協議して取決めることになっていたのであるから原告が解除権を行使したときはいまだ本件土地の賃料額は定まっておらず被告にはその不履行の責はなく、したがって原告に右特約による解除権は発生しない。

B 原告の解除権の行使は信義則に反し、又は権利の濫用であって無効である。

仮に原被告間に前記のような和解が成立していなかったとしても前記のとおり被告はその代理人をもって原告に対し賃料値上げの申入れをし原告よりの回答を待っていたものであり、かつ前記昭和三九年一〇月までの賃料については遅滞なく履行して来た誠実な賃借人でありいささかもその信頼関係を裏切るような背信行為をしたことはなく、又被告は針仕事によって生計をたてている一人暮しの老女であるのに原告は本件土地を買受けた間もない頃より本件土地の明渡を求めてやまないものである。

以上の事実関係のもとにおける原告の解除の意思表示は信義則に反し、もしくは権利の乱用として無効である。

三、賃料債権(原告の請求する昭和三九年一一月一日より解除の意思表示の到達した昭和四一年二月二五日まで一ヶ月三三八円の割合による賃料)消滅の抗弁

被告は右賃貸借契約解除の意思表示の到達まで前述のとおり適正に値上された額を支払いたい旨原告に申入れをしていたのに原告はそれを無視して内容証明郵便をもって解除の意思表示をして来た、このような事情の下では原告は右賃料を被告が提供しても受領しないことは明かであるから被告は昭和四一年二月二六日に昭和三九年一一月一日より同四一年一月三一日までの間の賃料合計八、二五〇円、同四一年四月八日に同四一年二月一日より同年三月三一日までの賃料一、一〇〇円(原告は一ヶ月の賃料として金三三八円を請求するが、原告は昭和三一年七月頃その代理人渡辺久をもって被告に対し一ヶ月五五〇円に値上げをしたいとの請求をし、その額が不確定のまま原、被告間に前述の争訟が係属した関係もあるので被告はその申入を承諾し、一ヶ月につき五五〇円の割合で計算)をいずれも弁済のため東京法務局に供託したから原告の請求する右賃料債権は消滅した。

4、抗弁に対する原告の答弁

第一項のうち本件土地を原告が訴外柏木末広から買受けたこと、被告よりその主張の調停申立がありこれが取下げになったことは認めるがそのほかの事実は否認する。

第二項につき

A、

(イ)、(ロ)の事実は認める。

(ハ)の事実は否認する。

(ニ)の事実のうち原告が内容証明をもって解除の意思表示をしたことは認めるがその他は否認する。

(ホ)の事実は否認する。

Bの事実も否認する。

第三項の事実のうち被告がその主張の供託をしたことは認めるがそのほかの事実は否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一、(原被告間の本件土地に関する賃貸借契約)

≪証拠省略≫によると、本件土地はもと柏木末広が所有し、これを昭和四年頃被告の夫藤田政雄が普通建物の所有を目的とし賃借し、右政雄が昭和一四年一二月一九日に死亡し、その後地主である右柏木と被告との話合いで借地人名義を被告にし(相続か否か明かでない)爾後被告が賃借人となったが昭和二二年一二月三日(同月二六日登記)原告が右柏木より本件土地を買受けて賃貸人の地位を承継し、昭和二六年七月頃に至り被告は原告の求めに応じ昭和二六年一月一日付の賃貸借契約書(甲第一号証、乙第七号証)を差入れたことを認めることができる。

右認定の原被告間の本件土地に対する賃貸借契約は原告主張の賃貸借契約とその成立の日及び経過が異るけれども、その同一性があるものと認める。

二、(無催告契約解除の特約の存否及びその効力)

≪証拠省略≫によると被告は原告に対し右契約書を差入れ賃料の支払いを怠ったときは原告において催告しないで賃貸借契約を解除することができる旨を契約したことを認めることができる。

被告は右特約は心裡留保によって無効であると主張し、被告本人尋問の結果の一部には「右契約書を差入れたさい原告がこの契約書は坪数と期間だけが問題であって他は一切問題にしませんから安心して下さい」と言明したので安心して差入れた旨の供述部分があるが右部分は、原告本人尋問の結果に照し信用できないし他に被告の主張を認めるに足りる証拠がないから被告の右抗弁は採用できない。

しかして右特約は賃借人である被告が相当期間の賃料を滞納したときは賃貸人である原告は無催告で賃貸借契約を解除することができる旨を約したものと解するを相当とする。

三、(被告の賃料不払及び原告の解除の意思表示)

原告が昭和四一年二月二五日被告に到達した書面で右賃貸借契約解除の意思表示をしたこと、被告が右意思表示到達時において本件土地に対する昭和三九年一一月一日より右日時迄の賃料を支払っていなかったことは当事者間に争がない。

四、(原告のなした本件土地に対する賃貸借契約解除の意思表示の効力と、その意思表示にもとづく原告の土地明渡と損害金請求の当否)

被告主張の原告より被告に対する二つの訴訟(当庁昭和三一年(ワ)第七、二三四号事件同年(ヨ)第三、六一二号事件)が起され右本案訴訟において原告が敗訴し、被告より右仮処分等によって損害を受けたとし原告を相手として当庁に損害賠償請求の訴を提起し(昭和三五年(ワ)第八〇一三号)右事件の控訴審(昭和三八年(ネ)第一、一四〇号)において原告は被告に対し金一〇〇万円の損害賠償金を支払うべき旨の判決があり確定したことは当事者間に争がない。

≪証拠省略≫によると前記控訴審の判決が確定した後である昭和三九年一一月二五日頃原告の代理人である弁護士輿石睦より被告の代理人である弁護士田中正司に対し前記控訴判決にもとづく損害賠償の金を任意支払う旨の申入れがあったので右田中弁護士は右輿石弁護士の事務所に行き原告とその長男の立会いの下で右一〇〇万円が原告代理人輿石弁護士より被告代理人田中弁護士に支払われ、田中弁護士は右事件についてなされた仮差押執行をすぐ取消しの手続をとる旨を約し、従来被告が供託している地代は供託書を原告代理人輿石弁護士に渡して同弁護士が取戻しを受けて受領することに話ができ、そのさい田中弁護士から被告としてはかねての希望どおりアパートを建てたいがそれについては地代が非常に安いのでこれを世間並に値上げしてもらいたい趣旨の申入をしたのに対し輿石弁護士はそのことについては追って話合いをしましょうと、返事をし、その席には原告とその長男もいたが地代の額については具体的な話がでなかったこと、その后地代の値上げについては原被告間に何等交渉がないまま経過していたところ昭和四一年二月一八日頃被告代理人田中弁護士が原告の代理人輿石弁護士と東京弁護士会館の渡り廊下で偶然出会い田中弁護士から輿石弁護士に対し、原、被告間の地代の値上げについてきまりをつけたいから原告本人と打合わせて下さいと申出でたところ輿石弁護士から前記控訴審が終った直後関係書類は一切原告に返してしまい今では原告の代理人ではないので直接原告と交渉するようにとの返事があったので田中弁護士は二、三日後そのことで原告宅へ電話したところ電話に出た原告の妻は本件土地のことは一切息子満義がやっているからその方と交渉してくれと言いその満義の電話番号を教えてくれたので直ちに満義に電話をしたが同人が不在とのことでそのままになっていたところ原告より昭和四一年二月二四日付の内容証明郵便で賃貸借契約解除の通知がその翌日被告に到達したので田中弁護士は、早速右満義に電話をして右内容証明郵便を出したいきさつ等につきその事情を尋ねたところ同人は一切輿石弁護士に委せてあるから右弁護士と交渉してくれと回答したことを認めることができる、また≪証拠省略≫によると右内容証明郵便を出す直前頃原告は、輿石弁護士と連絡しその助言をえて、被告代理人田中弁護士より地代の値上げ及びその支払いについて前記認定のような申入れのあることをよく承知のうえで被告の賃料不払いと前記無催告解除の特約とを結びつけ、もし地代の値上げの協定がつけば被告が賃料を支払う結果原告は契約解除の機会を失うことを計算に入れて、いきなり(値上げ申入れに対し回答しないで)契約解除の内容証明郵便を出したことを認めることができる、(≪証拠判断省略≫)

以上認定した事実によれば被告は原告に対し賃料が従来原、被告間の争訟により据置かれていた結果著しく低簾であったため進んでその値上げを求め、原告もそれに対し後で話合いをしようと回答したのであるから(被告は適当に値上げされた額を何時でも支払う旨の口頭の申入をしていたものといえる)被告としては原告の回答を待ってその協定のできた額を支払うことはむしろ当然であって(右のような話合いがあるのに被告が従来のいちじるしい低額な賃料を支払おうとすることは原被告間に新たな紛争を起す原因となりかねない)被告が従来の低簾な賃料を支払わなかったことについて非難すべきではなくむしろ原告の方で被告の数回にわたる申入れに対し賃料の値上げについて話合いをするか、又はもしその申入れに応ずることができないのならばそのような回答をすることが賃貸借関係における信義則の要請であるのに原告が賃借人である被告の申出の逆をとりその虚(弁論の全趣旨によると被告及びその代理人田中弁護士は右申入れをする頃無催告解除の特約の存在を気付いていなかったことが窺える)に乗じ前記無催告解除の意思表示をすることは著しく信義則に反し許されないものと解すべく右解除の意思表示はその他の点の判断をするまでもなく無効であってその効力を生ずるによしなく、原被告間の本件土地にかんする前記賃貸借契約は依然として存続していることになるからその終了を原因として本件建物を収去し本件土地の明渡と、右解除の意思表示到達の翌日である昭和四一年二月二六日以降右土地明渡済に至るまでの賃料相当損害金の支払いを求める部分の原告の請求は失当である。

五、(昭和三九年一一月一日より同四一年二月二五日までの賃料請求の当否)

被告が昭和三九年一一月一日より同四一年二月末日までの賃料を弁済のため二回にわたり、(原告より解除の意思表示の後)被告主張の日に東京法務局に供託したことは当事者間に争がなく、右賃料につき被告において現実に支払いのため提供したことの主張も立証もないが前記認定のとおり被告はかねて原告に対し適当に値上げした賃料をいつでも支払う旨の口頭の申入をしていたのに対し原告は内容証明郵便で解除の意思表示をしているのであるから反証のない限りその受領をあらかじめ拒否したものと認めるのを相当と解すべく現実の提供を欠く前記供託も有効と言わなければならない、(もっとも被告は原告の請求する一ヶ月三三八円より高額である一ヶ月五五〇円を供託し、その根拠として原告の代理人渡辺久が昭和三一年七月頃右の額の値上げ請求をしたと主張するがこれを認めうる証拠は存在しない。しかし前記認定のように原被告間には昭和三九年一一月一日以降の賃料を値上げしようとの含みがあった以上被告が自から進んで従前の賃料より少しでも高額な賃料を供託した場合原告は従前の安い賃料額を固執してその受領を拒むいわれはない)したがって前記賃料債権は右供託によって消滅したことになるから右原告の賃料請求は失当である。

六、(結論)

よって原告の請求のすべてを棄却し、民事訴訟法第八九条によって訴訟費用は原告に負担させ主文のとおり判決する。

(裁判官 地京武人)

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